2011年6月26日日曜日

40年間、孤独な敗北を続けてきた小出助教

今回の災害で最も有名になった人物といえば、やはり京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章氏、です。この人はいままで、40年間孤独な敗北を続けてきた、のです。

─────────────────────────

小出助教インタビュー

わたしは原子力の場にいる専門家として、専門的な意味でも原子力というのはとても許せないと思って、反対をしてきました。でもわたしが原子力に反対する根本の理由は違います。わたしが原子力に反対する根本の理由は、自分だけがよくて危険は人に押しつけるという、そういう社会が許せなかったから、です。電力を使う都会には原発を作らせないというのもそうですし、原子力発電所で働く労働者は本当に底辺で苦しむ労働者であったりする、わけです。そういう社会をわたしは認めたくないので、原子力に反対してきました。

わたしは40年前に原子力をやめるべきだと言い始めた人間ですけど、わたしが原子力をやめるべきだと思ったときには、日本に原子力発電所は3基しかなかった、のです。東海の1号炉という、もうすでに廃炉になりましたけど、それから敦賀、御浜という3基しかなかった。それ以降わたしはなんとか原子力をやめさせたいと思ってきたわけですけれど、さっき聞いていただいたように、もうすでに(現在の日本には)54基ある。ですからわたしはもう、敗北の歴史をずっと辿ってきている、わけです。なんとか止めたいと思っても、その方策がとうとう見いだせないまま今日まで来ている、わけですから、今、どうしたらいいのかと問われたわけですけど、わたしは分からない。分かれば、やるのです自分で。

ただ、わたしのような特殊な人間がいくら反対したところで、止まらないということ、なのですね。だから普通の皆さんが原子力というのはどういうものなのかと、いうことに気がついてくれること、つまり技術的にも危険だということにまず気がつかなければいけないし、ことの本質はそんなことではないと。さっき聞いていただいたように差別の問題なんだと気がついてくれれば、止められるだろうとわたしは思っている、のです。ただし、こんな事故を目の当たりにしながらも、日本の多くの人たちは「停電になったら困るから原子力だ」といまでも言ってるんですね。まあそんなことを聞くと、わたしはもう勝手にしてくれと実は思ってしまう。言葉悪いけれども、本当に情けない国民だと思います。

─────────────────────────

下は平成17年に行われたプルサーマル公開討論会の様子です。
推進派の学者に嘲笑される小出助教、観衆は推進派の発言に拍手を送っています。




0 件のコメント:

コメントを投稿