2011年8月6日土曜日

放射能、みんなで浴びれば恐くない

いままでずっと、内部被曝は恐い、放射能は危険だ、ということを書いてきましたが、はっきり言って、それがどれくらい恐いものなのか、ということは私には分かりません。世界の専門家の間でも意見が分かれていることからも分かる通り、内部被曝についての実例が少なく、まだ正確な知見が得られていないのです。

だから、もしかしたら、福島を含めてひとつも健康被害が出ないかもしれない。
御用学者と呼ばれる人たちの言うことが正しいのかもしれない。
その可能性もゼロでは無い、と私はアタマの片隅で思っています。

ここで書いたように、今回、福島第一原発から放出された放射能は、偏西風のおかげで大半が太平洋に流されました。もし偏西風がもっと気まぐれに進路を変えていたら、この数倍、数十倍の広い範囲で汚染されていた可能性もあります。福島原発の位置も幸いしました。下記の動画を見れば、それがよく分かります。むしろ、汚染は最小限に食い止められた、と言っても過言ではありません。


では、何が問題なのかというと、武田教授も再三言っているように、従来の基準がすべて無視されていることにあります。自然放射線を除いて、日本国民が被曝して良いとされる限度は年間1mSvでした。また、年間5.2mSv以上の場所は放射線管理区域として立ち入りが制限されていました。これは毎時に直すと約0.6μSv/hです。そして、食品の基準値はWHOの基準に沿って、運用されていました。

これらの法に則った基準が、今回の災害以後、すべて無視されているのです。学校の運動場は3.8μSv/hまでとか、子供は年間20mSvまでOKとか、1年間にレントゲンを400回浴びても大丈夫だとか(それも医療的利益無しで)。では、今までの基準はいったい何だったのか。この犯罪行為になぜ従わなくてはいけないのか。

このことは、実際の被害がどれくらい出るのかということと、別に考えなくてはいけません。

基準を無視しただけでなく、国や自治体は、放射能に汚染されたガレキや肥料や汚泥を、全国にばらまくという、さらに意味の分からないことをしています。全国に汚染を散らして、全国民で放射能を分かち合おうとしているのです。ここまでキチガイじみた政策は、チェルノブイリ事故の旧ソ連政府も行っていません。

これは「1億火の玉」を掲げた太平洋戦争のときと同じ思想なのでしょうか。日本のムラ的な発想なのでしょうか。もはや私の理解力を超えているので、さっぱり意味が分かりません。

なにより私が一番恐いのは、こんなメチャクチャな行いを黙認している人たちです。戦後教育の成果なのか、自分の頭で考えることを放棄してしまった人たち。上の言うことを効率良く行うことだけを教え込まれた人たち。みずからが主権者であるという自覚もない人たちがこの国を作ってきたのです。

確かに、この教育によって、日本は発展を遂げました。社会が発展するために、3S政策、B層政策は、非常に効率良く機能したのです。そんな人たちは、仕事は出来るかもしれませんが、こと非常時にあっては、奴隷か家畜となってしまいます。

ツービートの「赤信号、みんなで渡れば恐くない」というのは日本人のメンタリティを的確に言い表しています。「放射能、みんなで浴びれば恐くない」ということです。みんながガンになったら、自分もガンにならないと落ち着かないのでしょうか。被曝することまで、ステータスやファッションとしてしか捉えられないのか。

地震や津波で死ぬことは、ある種どうしようもないことですが、原発災害の放射能で死ぬことは到底ガマンできません。利権にまみれた人たちのせいで、自分や家族の命が脅かされるのは、お断りします。

「しょうがない」という言葉を使って良いのは、できるかぎりの努力をした人だけです。人知を尽くして、はじめて天命を待つことができるのです。軽々しくしょうがないと言わないで欲しい。特に子供を持つ親は。

どうも昨日から怒りモードに入ってるみたいです。

2 件のコメント:

  1. 田舎のあおぞら2011年8月7日 8:51

     アクティブな情報を発信しておられることに敬意を感じています。
     自主避難した人には援助が無いことに見られるように、最初に行動する者やみずから行動する者が物質的に何も得られないのは、この国の特質なのだろうと思います。制度は常に後追いでしかないことを思えば、当座は仕方無い面はあるのでしょうが、問題なのはご指摘の通り、受身の者(良い子)や受身を装う者(ぶりっ子)だけが得をする仕組みを作り出す統治の者達の心性とやり口が、人々のメンタリティーにまで染み付いてしまっている社会の現状だろうと思います。
     もう三十年前以上前ですが、私もその種の行動をとって制度のみならず社会(人との関わり)においてもひどい目に遭った者です。その種の関わりでは、物質的にも精神的にも何も得られないばかりか、相当ひどい状況に陥りました。それは今も引きずっています。しかし後悔が無いのは、言葉では無い行動の本質は、次世代に受け継がれるという点です。私においては当面、家族の範囲内でしかありませんが。原発が一世代に止まらない数世代に及ぶ出来事ならば、こちらも長期的、本質的に物事を変え得る人生、生き方を送ればいいのだと感じる次第です。
     余分な話ですが、人を腐らせるのはいわゆる戦後教育では無いと感じています。統治の者に唯唯諾諾と従う東電的「エリート」の養成。それは封建期の朱子学・藩校教育を模した明治期の帝国大学頂点の学校教育制度、それを無批判に受け継ぎ、今では「非エリート」社会にまで蔓延した偏差値的普通教育制度にあると感じる者です。仕事で長年、人物史や地域史を掘り起こして感じるところです。
     勝手な考えまで記し、大変失礼致しました。これからも拝読させて戴きたいと存じます。よろしくお願い致します。

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  2. 田舎のあおぞらさんこんにちは。
    コメントありがとうございます!

    教育の歴史にお詳しく、勉強になります。
    「行動の本質は、次世代に受け継がれる。」という言葉はとても良いですね。
    そう考えるといろいろ客観的に見られそうです。

    こちらこそ、偉そうにいろいろ書いてますが、よろしくお願いします!

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