2011年9月6日火曜日

良心を利用するプロパガンダのからくり

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本題の前にちょっと意見を。
まあ何度も言ってることなんですが。

武田教授、児玉教授をはじめ、多くの人が汚染地の除染をするべきだと言っています。私も除染は必要だと思います。ですが、それは人を移動させた後にするべきだと思うのです。児玉教授は「どんなに除染しても0.5μSv/h以下にすることは難しい」と言っていました。私は0.5μSv/hの土地で子供を育てようとは思いません。

人の移動が必要な地域を決定するのは難しいと思います。私個人的には0.6μSv/hが目安になると考えています。従来の法律上の放射線管理区域に当たるからです。人の移動は国が率先してやるべきですが、それを待っていては、子供たちから病気になっていくでしょう。

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興味深い記事がありました。

以下には、有事の際に国民を洗脳するためのプロパガンダの手法が書かれています。ちょっと長いですが、転載歓迎とあるので、引用させてもらいます。赤文字の色は私が付けました。

今何がおきているのか―流布される「不幸の均霑(きんてん)」プロパガンダ
https://sites.google.com/site/livingwithfukushima/literature/critics/yoshida

■なぜ騙されるのか、怒らずに従うのか

当初から噂されそのように語られてきたことではあるが、東京電力の計画停電がやらせであったことを東京新聞など地方紙が2011年5月12日朝刊で一斉に伝えた。

「狙いは原発存続?よぎる計画停電」(『北陸中日新聞』2011年5月12日:朝刊)
これを読んで騙されたと怒る声があるが、それではなぜ多くの人は計画停電のさなかにはいとも容易く騙され、デモを起こしたり抗議の声を上げたりすることもなく、不平を言いながら、あるいは「被災者の苦労を思えばこれくらいの不便は」「被災地の復興につながるのなら」と進んで計画停電を受け入れたのか。

上の記事中に「福島第一原発事故後の世論調査でも『原発の廃止.減らす』よりも『増設.現状維持』との回答が多かったのは、国民や産業界が計画停電で不便を被ったことが一因とみられている。」とあるように、なぜ多くの人は計画停電を受忍して従うことによりこのようなマインド・コントロールをいとも簡単に受けてしまったのか。

また、福島で避難しようとする住民に「逃げるな」との罵りが家族や周囲の人間からなぜ発せられるのか。福島産の牛乳、農産物、肉、卵などを給食で食べさせる学校に対し、弁当や水筒を持たせようとする親の配慮を多くの学校教師が特例は認められないとして断固として禁じるのはなぜなのか、またそう言われた親たちの多くが戦うことができず泣き寝入りしてしまうのはなぜなのか。

産経新聞が報じるところが本当ならば、福島第一原発の立地となった地域の住民が東京電力に謝罪や補償を求めることに対し、県の他地域の住民たちの間に怒りをもって批判する声があるのはどういうことか(脚注記事)。

事故以来、このようなおかしなことが起き続け、多くの人々がそれを根本的に批判・糾弾できないまま、嫌々ながらあるいは進んで受け入れて日々を過ごしている。一体今何が起きているのか。

■支配の常套手段:「不幸の均霑(きんてん)」プロパガンダ

このことの答えを求めて思いを巡らしていたとき、ある文章に出会い、そこに問題を解く鍵が書かれているのを発見した。以下に紹介する書評がそれである。

権力が民衆を支配するとき権力への怒りの矛先を民衆同士に向かわせ、民衆同士を分断し反目させることが常套手段であることは重々承知していた。しかし、ここではそのことについてさらに掘り下げて、その支配を可能にする手法とそれを一旦受け入れた民衆の思考・行動について短い文章でありながらはっきりと説明してくれている。

お読みいただきたい。

どくしょ室

『戦争と日本人―テロリズムの子どもたちへ』
加藤陽子 佐高信著 角川学芸出版
近現代史に探る戦争への道

「テロリズムの子どもたちへ」という本書の副題について、著者の一人である加藤陽子はこう述べている。「現実に対する義憤や短慮によって、未熟なものたち―子どもが早まって事を起こし、その結果、本来は歴史が必要とした『大人』の死体が累々と横たわる風景があまりに多かった」

本書は「そのような『子ども』を生み出さない、産み落とさない社会を祈念して書かれた」という。逆に言えば、今の日本の状況が戦争前夜であったテロの時代に似てきたということであろう。

近代日本の歴史を振り返れば、暗殺された政治家にはある共通点がある。外交においては国際協調、内政においては議会重視を唱えた面々が実に多いのだ。排外主義に燃える目からすれば、国際協調や議会重視の姿勢は妥協や屈服と映りやすい。最近の例でいえば、尖閣諸島での中国漁船衝突事件をめぐる世論の反応がまさにそうだった。

こうした排外主義的ナショナリズムを自然発生的なものとみてはいけない。著者が言うように、「『子ども』たちが、権力者の思惑にかなり仕組まれた形の報道を受け、そこに乗っかってテロリストになっていく」構図を見抜く必要がある。

徴兵制研究の著作がある加藤は、「不幸の均霑(きんてん)」というキーワードを使い、近代日本国家が戦争遂行に合意を得ていったプロセスを説明している。わかりやすくいうと、「不幸を公平に分かち合う」と装うことで、国民の不満を吸収する手法だ。

たとえば、徴兵制の歴史は免役条項を外していった、ある意味「公平の歩み」であった、と加藤は言う。もちろん政府の狙いは兵力の拡大にあるのだが、本当のことを言うと国民の支持は得にくい。そこで政府は「特別扱いをなくし平等にする」というレトリックを全面に出した。そうすることで「何であいつらだけ兵役免除なんだ。ずるい」という大衆感情を巧妙に取り込んでいったのである。

このような手口は、現在猛威をふるっている既得権攻撃(公務員叩き、農家叩き、「在日」叩き等々)とまったく同じものだ。人々を分断し争わせるのは、国家が権利のはく奪を行おうとするする際の常とう手段であることを、私たちは歴史から学ぶ必要がある。

「国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らない」。加藤のこの指摘はすでに現実のものとなっている。

だからこそ、対談者の佐高信が力説するように“メディアの熱狂に踊らされず、自分の頭でじっくり考える資質″が求められている。本書からは、現在につなげて歴史をみる視点と発想を学びたい。  (I)

『週刊MDS』2011年5月20日第1182号
MDS新聞社発行

この本『戦争と日本人―テロリズムの子どもたちへ』は東京電力福島第一原子力発電所事故以前に書かれたものだが、事故後起きていることがらを何と正確に解き明かしていることだろうか。

権力が民衆に苦痛を受容させるとき正面からそれを要求したのでは反発を買い成功しない。そこで、非常有事に権力は「不幸の均霑(きんてん)=不幸を公平に分かち合うこと」というレトリックを使ったプロパガンダを流す。その途端に不思議なように民衆はそれを受け入れ、苦痛を強いる権力に対してではなくその苦痛を少しでも免れようとする同胞に怒りを向けるようになる。太平洋戦争末期に「欲シガリマセン勝ツマデハ」「一億火ノ玉」「一億玉砕」などのスローガンが流布され、それに異を唱える者たちは「非国民」との罵りと排斥を受けたのが分かりやすい例だ。

■大手を振ってまかり通る「不幸の均霑」プロパガンダ

放射線量が高い地域の農産品、畜産品、水産品を買わないようにする当然の消費行動を、国や福島県他の自治体や福島JA五連などは「風評被害」と呼び、マスメディアもその語を垂れ流して、被害者の怒りを見当違いの方向に向けて煽り、一方消費者たちに理不尽な罪責感、加害者意識を植え付けている。正に「不幸の均霑」プロパガンダそのものである。

このレトリックがどれほどの力を持っているかを垣間見ることができる記録がある。

「2011年3月21日14時-山下俊一氏・高村昇氏『放射線と私たちの健康との関係』講演会(後半)」がそれだ。

政府、福島県の説明に納得できず福島県放射線健康リスク管理アドバイザー山下俊一を問い詰めていたはずのフロアの質問者が、山下のレトリックに赤子の手をひねるようにしてやられる瞬間が記録されている。以下の部分だ。

山下:(略)じゃあ、今ここで汚染されたミルクを飲みなさいと言って、みんな飲むでしょうか。飲まないですよね。福島県民だけにそういう辛い思いをさせるということは許されません。日本国民が全部がこれは分かち合うべきだと思います。だからこそ、風評被害を減らすために私達はここに来ています。枝野官房長官には今日連絡しましょう。ここに来て食えと。まさにそういうことですよね。

Q3:一番最初に食べてほしいし、飲んでほしい。

山下:はい、そう伝えますので。ありがとうございます。

福島県民だけが辛い思いをすることは許されない、日本国民全員が汚染されたミルクを飲むべきである、枝野氏はその筆頭になるべきであるとの魔法のことばを聴いた途端、誰が加害者であり責任を取るべきかの判断が曇り、不安と怒りが福島以外に住む市民と枝野氏に向けられることになる(目の前にいる山下こそが恐ろしい敵の使者であるのに!)。驚くほど短いことばで成功した見事な洗脳の手口だ。
山下が福島県に呼ばれたのは彼が放射線影響研究所、ICRP、IAEAの代弁者だからというだけでなく、このような悪魔的な話術を持つ人物だからという理由からでもあるのではないか。

■私たちには免疫があるわけではない

見てきたようなプロパガンダが機銃掃射のようにメディアを通し、また日常会話の中で繰り返される日々を私たちは今生きている。情報・知識を蓄えればこのような思想宣伝に対抗できると考える向きもあるかもしれないがそれは楽観的にはすぎまいか。

太平洋戦争中、ヒューマニスト、社会主義者、キリスト者など十分の知識を得ていたはずの知識人たちが次々と転向し大政翼賛会になびいていったのは何も治安維持法による弾圧の恐怖のゆえからだけではあるまい。悲惨を極める前線の戦況を聞けば聞くほど、批判的な発言をしてはならないと良心の怯えを覚え、思想と言論の自由が脅かされても多少のことは我慢しなければならないと自らを規制して体制への隷属を受け入れたのではなかったのか。

「不幸の均霑」プロパガンダは感情に訴え知性を麻痺させる点において実に恐ろしい。私たちには免疫があるわけではない。目覚め続けなければ私たちはいとも容易くその魔の手に落ちてしまう。

ひとつの例を取れば、放射性物質が降下した被災地のがれきを被災地以外の都道府県が受け入れなければ被災地は復興できない、放射能被害をこれ以上被災地にだけ押し付けて涼しい顔をする気かと恫喝されたときに、被災地以外の住民たちは心の責めを感じずに抵抗できるだろうか。また、一旦「NO」と言った後にがれき処理ができないゆえに悲惨な状態のまま捨て置かれ続ける被災地の姿が延々と伝えられるようになり、被災者の怒りの声が伝えられるようになってもなお私たちのひ弱な良心は持ちこたえられるだろうか。

「がんばろう日本」との情緒的なスローガンは、裏を返せば地震、津波、原発事故による被害に関しては「一億総懺悔」をしてその不幸を民衆全員で負うべきであるというプロパガンダだ。

反原発行動の中で「私たち東京の人間のために電気を作っていた福島の原発であんなことがあって申し訳ない」「今まで無関心ですみません」というようなことばが聞かれる。事故の悲惨そして降り注ぐ放射性物質の嵐を見て誰が心の責めを感じずにいられよう。しかし、そのような良心的な思いから来る罪責感にも「不幸の均霑」プロパガンダが付け入る隙を狙っていることを押さえておこう。

反原発・脱原発の素朴な思いを結集していくなら社会は大きく変わると言う人もいる。しかし、目を覚まして自らの知性と感性を武装しなければ落とし穴はすぐそこに待っている。問題の構造に対する理解を曖昧にすまい。加害者と被害者の区別をはっきりとさせ、責任を負うべき者にそれを負わせよう。そのためにこそ、被災者、原発事故被害者たちと連帯しよう。

注:

「対立生む“原発の恩恵”遠方住民『手厚い補償 被害者ぶるな』」(『産経新聞』2011年5月18日朝刊)

工程表は示されたが、原発周辺の住民にとっては、不自由な生活にはっきりとした出口が見えたわけではなく、抱えるストレスは大きい。福島県内では、原発立地で経済的な恩恵を受けてきた、受けなかったといった認識の違いが、感情的対立すら生じさせている。(小野田雄一)

■土下座に違和感

「避難所で東電の社長に土下座させた人たちは、これまで東電に食べさせてもらってきた人たち。地元に原発を誘致した経緯もある。土下座の強要には違和感を覚える」

原発から約60キロ離れた福島市内で飲食店を経営する男性(40)はそう話す。震災と原発事故で、売り上げは昨年の3分の1程度に落ちたという。

「原発で恩恵を感じたことは一度もないのに、損害を受けている。原発近くの人は手厚く補償されるだろうが、うちがつぶれても補償されるのか。理不尽だ」

原発から離れた地域の少なからぬ住民には、こうした思いは共通する。

■累計2700億円

原子力や火力発電所などが立地している地域は、国から「電源立地地域対策交付金」など、さまざまな交付金を受けられる。

交付金は周辺自治体に直接交付されるものもあるが、広く県全体に渡るものもある。福島県によると、各種交付金の平成21年度の総額は計約145億円。

このうち、県に交付された「電力移出県等交付金」は計62億円で、県は約52億円を公共事業に投じた。残る10億円は県内の大半の自治体に分配した。県が昭和49〜平成21年度までに受けた交付金の総額は、約2700億円になるという。

県には電力会社から「核燃料税」も入る。原子炉に挿入された核燃料の価格と重量に課税されるもので、15〜18年度では計約103億円。多くが県内の道路や橋、河川などの整備費のほか、福島空港の管理費、県立病院などの運営費、警察費など、県民全体のサービス向上に充てられた。

だが、「原発が県にどんな恩恵をもたらしてきたかを知っている県民は少ない」(県幹部)というのが現実だ。

■しっかり周知を

原発の住所地でもあり、現在は町役場ごと会津若松市に避難中の大熊町役場には、「原発で恩恵を得てきたのに、事故でほかの地域に迷惑をかけ、今さら被害者ぶるな」といった批判の声が届いているという。

町幹部は「雇用や、町から住民への教育費や医療費の補助など、確かに他地域より恩恵はあった」と認めつつ、「恩恵が県全体にも及んでいることを知らない人も多い」と戸惑いを隠せない。

ある県幹部は「原発の恩恵がリスクと釣り合ってきたのは、“安全”という前提があったからこそ。これまでの経済的恩恵とは桁違いの損害が出ている」と話し、立地地域も被害者だと強調する。その上で、「県民対立や国民からの批判を防ぐためにも、濃淡はあるにせよ原発の経済的恩恵が、特定の地域だけのものでなかったという事実をしっかり伝えていきたい」と話している。

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