2011年10月3日月曜日

エポケーの必要性

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1.
すべてのカラスは鳥である。
鳥は羽根を持っている。
ゆえに、カラスは空を飛べる。

2.
すべての猫はキリンである。
キリンは罪深い。
ゆえに、猫は罪深い。

1と2、論理的に成り立っているのはどちらでしょうか。
アリストテレスの三段論法。論理学の最も基本的な構造です。

*   *   *

事故から半年経ち「放射能は危険か安全か」という議論がされています。
で、各々、どっち派が正しいのかでもめているようです。
0か100か。善か悪か。勝ち組か負け組か。

論理的な結論を得るためには、しっかりと前提を見なくてはいけません。この基本的な論理構造を理解していない人が多すぎると思います。

これは危険派にも安全派にも言えることです。

私はこのブログで何度も言ってますが、もろもろ含めて、今、何が一番問題なのかというと「放射能の影響がどの程度出るのか、現時点では分からない」ことだと言っているわけです。

で、現時点で分かっている前提を書き出してみます。

前提1. 福島第一原発の事故によって、福島県を中心に放射性物質がばらまかれた。

前提2. この事故が起こる前は、自然放射線を抜いた年間の被曝限度は1mSvだった。

前提3. 事故が起こってから、政府は食品に含まれる放射性物質の基準を大幅に上げた。

前提4. 現在も0.6μSv/h以上の場所は放射線管理区域として指定されている。

これらは明快な事実です。
ここから導き出される論理的な結論は以下になります。

結論1. 事故以前と同じ基準で食品を食べたいなら、現在の暫定基準値は容認できない。なので食べ物は自分で気をつけるしかない。

結論2. 法定上の放射線管理区域に住みたくないのなら、0.6μSv/h以上の場所に住んでいる人は、移動するべきである。

こんなもんです。非常にシンプル。
この結論の大事なところは「実際に健康被害が出るか、出ないか、といったことは関係がない」ということです。

分からないことは分からないこととして、エポケー(思考中断)することが必要なのです。

事故が起こってしまった今、多くの言説や情報にはバイアスがかかっています。そのバイアスを検証していたら時間は足りない。従って、我々が注目するべきは、事故前の情報と照らし合わせることなのです。

100mSv/yでも安全だと言っている学者は、3.11以前からそのことを主張していたのか。もし意見を変えたのなら、なぜ変えたのかという合理的な説明がなくてはならない。

*   *   *

「正しく恐れる」という言葉が、いま巷に溢れているようです。でも、正しく恐れるってなんなんでしょうか?

本日お昼頃に、福島県の子供10人に甲状腺の変化が見られるという報道がされましたが、厳密には放射能との関連性は分かりません。今後、健康被害がどれくらい広がるのかも不明です。

ただひとつ、歴史的に見て予想できることは、政府が放射能の健康被害を認めるにはものすごく長い時間がかかるだろうと言うことです。

(参考)
1970年 政府:有機水銀はただちに健康に問題はない

2004年 政府:メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ

1980年 政府:アスベストはただちに健康に問題はない

2005年 政府:メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ

1985年 政府:薬害エイズはただちに健康に問題はない

2002年 政府:メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ

2011年 政府:放射能はただちに健康に問題はない ←NEW!

20XX年 政府:???

*   *   *

原発事故直後に、CS放送の「ニュースの深層」だったと思うのですが、広瀬隆氏が「今、日本は正しいパニックを起こすべきだ」と発言しているのを見ました。

私がそれをネット上の動画で見たのは、たぶん3月20日頃だったのですが、その発言を聞いて、まさしくその通りだと思いました。でも、なんだろ「正しいパニック」と「正しく恐れる」。何が違うのかな。

とまれ、今はパニックになる必要はありません。「正しさ」よりも「合理的な行動」を模索するべきです。

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