2014年10月19日日曜日

放射能を気にする人と気にしない人

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最近は原発事故のこともあまり考えずに、福岡でのんびりと暮らしているのですが、やはり不意に見過ごせないという想いが湧いてきます。


上の画像は去年の東京五輪招致演説での安部首相の発言です。日本人で放射能を気にせず暮らしている人は、この発言に違和感を感じないのでしょうか。

「健康問題については今までも現在も将来もまったく問題ないと約束します」

それなのに、なぜ福島で子どもの甲状腺検査を行っているのか、日本全国の子どもたちと比較もせずに。

なぜ、食品中の放射性物質の基準値を緩めたにも関わらず、いまだに東北のみならず静岡県など関東地域からも基準値越えの危険な食品が出ているのか。

そんな不確定要素を抱えながら、なぜ将来にわたってまったく問題ないと「約束」できるのか。

答えは簡単です。ここ日本においては「約束」なんてものに意味はなくなっているからです。過酷事故は絶対に起きないとされていた原発が爆発しようが、それ以前の確率をはるかに超える数の子どもが甲状腺ガンになろうが、原発災害のせいで避難した人が何千人死のうが、数十万人が帰る場所を無くそうが、この国では誰1人責任をとっていません。原発が爆発した当時の東電の会長である勝俣氏も、社長の清水氏も、まったくなにもひとつも責任をとりませんでした。ただ天下りしてのんびり暮らしているのでしょう。

そんな国の「約束」なんて、そこらに落ちてる犬の糞くらいの価値しかありません。

もし健康問題が持ち上がるとしたら10年以上先になるでしょう。そのときには安部氏の発言なんて忘れ去れているでしょうし、すでに本人は引退している。そうしたことも分かった上で発言しているのです。まだ枝野氏の「ただちに影響はない」のほうが良心的だったほどです。

*  *  *

放射能を気にする人と気にしない人の違いについて、ヤフー知恵袋でとてもいい回答がありました。違いについてというか、なぜ気にしなければいけないのか、ということですが。

放射能を気にする人と気にしない人の差はなんだと思いますか? 

以下がベストアンサーに選ばれた回答です。
赤字強調は私がしました。

lereysraterさん

性格ですね。
そして今回は気にする性格の方がいいように思います。
なぜなら放射能は色も無い、味も臭いも無いですから気にするか、しないかで総てが決まってしまうからです。

現実に事を見てみましょう。
首都圏から離れた地方の自治体のアナウンスなどを聞くと、住民からの要望が多いようなら○○の検査を実施するつもり、見たいな事を言ってるのがままあります。
これはつまり気にする声がなければ検査しないということで、気にする人の声が安全の垣根になっているということです。

政府は3月に放射能の基準を緩めましたが、4月になって更に緩めようとしたそうです。その際関係者から「さすがにこれ以上は拙いだろう。」ということで没になったと聞いています。
気にする国民の意識(世論の空気)が歯止めになったのだと思います。
つまり気にする人の意識が現状レベルの安全を確保してるともいえます。

この程度の汚染(食品にしても空気にしても)で気にするなんてと蔑むように言う人がいますが、気にする人の声がなければどの程度汚染されてるのかまともに調査・公表さえしなさそうな政府や自治体です。
この程度と笑ってる人も実は気にする人の声によって汚染レベルを知ることが出来てるのかも知れないという事がまったく分かっていない頭の弱い人なんです。

よくペットボトルの水を飲みながら水道水で煮炊きをする人、水道水の風呂に入りながらその元である雨に濡れるのを気にする人を馬鹿にする人がいますが、できる範囲で多少なりとも被曝を減らしたいという普通の感覚が理解できない人です。
そういう人は聞きかじったハンパな知識でものを言いたがるアホですから無視してください。

私は、自分の納得がいくような判断・行動をとるの最良だと思います。
まったく気にしない人からは「あなたは気にしすぎ。」と言われるでしょうし、自分以上に気にしてる人から見れば「あなたはノンキね。」と言われるでしょう。話す相手によって尺度が変わる相対的なものですから絶対的な差などありません。
難しい事は分からない。もしかしたらトンチンカンに気にしてる部分もあるかもしれない、もう何がなんだかよく分からない。
だから結局自分が納得することしかできないし、まさに性格次第となってしまうんです。

*  *  *

放射能汚染についての政府の態度やマスコミの報道では、重要な情報は基本的に隠蔽されていて、しかも、わざと間違えて伝えたりもされています。ですが、ごくごくわずかながらも放射能問題に真摯に取り組んでいる政治家や、事実を伝えようと奮闘するジャーナリストもいます。

それでも政府が本気になったら、そんなわずかな真実の追求も無かったことにできるのです。それをなんとか踏みとどまらせているのが「気にする人」の声だということなのです。

「気にしない人」は「気にする人」を「放射脳」などと言って笑っていますが、日本人にある程度の安全を担保しているのは「気にする人」なのだということを、……まあ分かってはもらえないんでしょうね。

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