「原発は放射能の危険もあるし、いずれは再生可能エネルギーにシフトするべきだ。でも『原発を今すぐなくせ』と叫ぶのはヒステリックに過ぎる。30年程度かけて、ゆっくり段階的に脱原発するべきだろう」という意見があります。
そんな人は、同調圧力による正常性バイアスにかかっていると言わざるを得ません。おそらくは半可な知識から来る「理論値」でモノゴトを考えているのでしょう。
まあ理論値から考えても、ダメなものはダメ。放射性廃棄物の処理方法が確立されていないという事実ひとつとってみても、原発は不可です。
そもそも、そうした技術的観点よりも前に、私は人の心理的側面から見て、人間には原発を制御することはできない、と考えています。
社会で行われていることはすべて人間が関わります。原発が安全に運用できるのかどうかは、人間の心理や、社会の構造を見なくてはいけないのです。利権構造もそのうちのひとつです。地震・津波対策をおろそかにしたり、コアキャッチャーなどのフールプルーフを設けなかったのは、技術的な問題ではなく、人々の知性、欲望がもたらした結果なのです。
私は、原発の最も大きな問題点は、現代のグローバル社会が本来的に持つモラルハザードの構造にあると思っています。植物の遺伝子操作によって食料利権を独占しようとするモンサントしかり、戦争を食いぶちにする軍需産業しかり。そして、放射能の不可視性を利用して、子どもたちの命を電力に変える原発ムラもそのひとつです。
こうした巨大な利権構造が内包するモラルハザードを見れば、現在の人間に原発を運用する能力が無いことは明らかです。そして今回の福島原発災害はこのことを「証明」したのです。誰がこれに反論できますか?
これは、政府や東電、保安院、メディアなどだけが悪いのではなく、我々すべての人間が抱えている問題です。もしかしたら、いまだに原発を推進したり、放射能が危険でない、と言う御用学者たちは、ただ単に欲望に正直であるといえるのかもしれません。自分がよければそれで良い、という現代人の在り方を象徴しています。
だからこそ、ちょっとでも“まとも”な人間でありたいと思うなら、彼らのような犯罪者を許してはいけないのです。
自然と共に生きていたインディアンやアボリジニの思想を見れば、現代人がいかに利己的かが分かると思います。
画期的な放射性廃棄物の処理方法が確立され、放射能による健康被害をなくすような医療技術が生まれ、さらにすべての人間ひとりひとりが、人類全体を展望できるような視点を持つことができれば、もしかしたら原発を安全に運用できる日が来るのかもしれません。
でも、そこまでテクノロジーが発達したときには、おそらくもっと安全で効率の良いエネルギー政策が取られていることでしょう。